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東京地方裁判所 昭和33年(ヨ)7160号 判決 1960年3月09日

申請人 佐藤勝利

被申請人 ムサシ産業株式会社

主文

本件仮処分申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

一、双方代理人の求める裁判

申請代理人は「申請人が被申請人に対し雇用契約上の権利を有する地位を仮に定める」との裁判を、被申請代理人は主文第一項と同旨の裁判を求めた。

二、申請代理人主張の申請の原因

(一)  申請人は、脱脂綿およびガーゼその他の衛生用品の販売業を営むことを主たる目的とする被申請人に雇用され、その本郷出張所に販売員として勤務していたものであるが、昭和三十三年十一月二十五日被申請人から解雇の意思表示を受けた。

(二)  しかしながら右解雇の意思表示は、解雇権を濫用したものであるばかりでなく、不当労働行為にも当るものであつて、いずれにせよ無効である。その理由は、左のとおりである。

(イ)  解雇権の濫用について。

被申請人は、申請人に対する解雇の理由として申請人の無届無許可欠勤および職場放棄その他の言動を挙げているけれども、この点に関する被申請人の主張を後段で反論する際に詳述するとおり、被申請人の主張する事実は、すべて根拠のないものであるかあるいはそもそも解雇の事由に値するような性質のものではなかつたのである。のみならず、被申請人が申請人に対して解雇の意思表示をするに至つたのは、つぎのようないきさつによるものである。すなわち、申請人は、被申請人の従業員として肩書地記載の純正寮に寄宿して来たのであるが、昭和三十三年十一月六日午前零時半頃のこと、寮長木内昭七郎は、申請人の就寝がおそいという言いがかりをつけて申請人をなぐりつけ、被申請人の人事課長片岡信雄も木内昭七郎に加勢して申請人の胸倉をつかんで申請人に暴行を加え、両名共同で申請人に対して全治約一週間の打撲傷を蒙らせた。そこで申請人は、同年同月八日右両名を告訴したところ、木内昭七郎のみが起訴されるに至つた。すると被申請人は、右告訴に対する仕返しのために申請人に対して解雇の意思表示をしたのである。

叙上によつて明らかなとおり、被申請人の申請人に対する解雇の意思表示は、なんら合理的な理由に基くことなく、ただ単にいわれのない報復の目的のためにのみなされたものであつて、解雇権の濫用にほかならないものである。

(ロ)  不当労働行為について。

(1) 昭和三十三年六月十二日申請人が中心となつて被申請人および株式会社純正舎(もともと衛生用品の製造および販売業を営んでいたのであるが、その販売業務を独立させるため設立されるのが被申請人である。)の従業員約四十名によつて純正舎労働組合(以下組合という。)が結成され、申請人は、その執行委員長に選出された。

(2) 被申請人の設立の動機が上述のとおりであつたところから、被申請人と株式会社純正舎とは代表者も同一人であり、従業員も随時互いに交流され、人事管理も統一的に行われていたので、組合が団体交渉その他の行動に出る場合には、勢い右両会社を相手として来たのである。

(3) 申請人は、組合の執行委員長として左のような組合の活動に関与して、これを指導した。

(a) 組合は、昭和三十三年八月下旬に至るまでの間に、四、五回にわたつて、給与体系の改正を要求するための団体交渉を続けたほか、この間に組合員の菅野正次に対してなされた不利益な配置転換を団体交渉によつて撤回させた。

(b) 組合は、昭和三十三年八月二十八日総決起大会を開き、新たに約百名の女子従業員の加入を得た上、一率金五十円の日給の増額、生理休暇制の確立その他の要求事項を決定し、翌二十九日および同年九月二十日に右要求事項に関する団体交渉を行つたのであるが、会社側の回答に満足できなかつたので、東京都地方労働委員会に斡旋の申請をした。そのため同年九月二十四日、同年十月九日および同年同月十四日に斡旋が試みられたけれども、結局不調に終つた。

(c) 組合は、執行委員長である申請人を含む組合員六名に対し昭和三十三年九月一日配置転換が命ぜられたについて反対し、申請人だけに関しては配置転換を撤回させることに成功した。

(4) ところで、被申請人は申請人が中心となつて組合の結成されようとしている気運のあることを事前に察知したのであるが、その結成の前日である昭和三十三年六月十一日、申請人の勤務していた被申請人の本郷出張所の主任高橋幸吉および被申請人の人事課長片岡信雄の両名が申請人を呼びつけて組合員名簿の提出を強要し、申請人から無理にこれを取り上げたのを皮切りに、被申請人の組合に対する切崩しが続けられることになつた。すなわち、被申請人は、純正寮の寮長木内昭七郎を会長とする親睦団体たる「のぼる会」を同年六月下旬に組織させた上、各職場の職制を通じて右会へ加入申込書の用紙を従業員に配布させたが、むしろ組合に加入する者の増加する傾向があるのにかんがみ、これに対抗するため、前同様職制に命じて組合員を勤務時間中に二、三名ずつに別けて呼び出し、あらかじめ用意した、氏名までも記入ずみの組合員脱退届書に押印を強要させるという手段を講じた。かくして組合を脱退して「のぼる会」に入会する者が続出し、申請人を含む約十名の者がわずかに組合員として留まつているに過ぎない状態になつてしまつた。そのような折柄、同年十一月一日には組合の会計担当者今井四郎と執行委員深沢孝とが組合活動の中心から離れた出張所に配置転換させられ、さらに続いて同年同月二十五日申請人に対して解雇の意思表示がなされるに至つたのである。

(5) 叙上のような諸般の状況から考えるときは、被申請人が申請人に対して解雇の意思表示をした真意は、組合の結成を嫌悪する被申請人が組合の結成に当つても、その後における組合の活動についても終始中心となつて行動した申請人を企業外に排除しようとした点にあつたものというべく、右解雇は不当労働行為を構成するものといわなければならない。

(三)  被申請人が申請人に対してした解雇の意思表示が無効である以上、申請人は依然として被申請人に対して雇用契約に基く権利を有する地位にあるものであるにかかわらず、被申請人においてこれを争うため、被申請人から支払われるべき賃金によつてのみ生計を維持するほかない申請人は著しい損害を蒙りつつあり、本案訴訟において勝訴するのを待つていては到底これを避けることができないので、本申請に及ぶものである。

三、被申請代理人主張の答弁

(一)  申請人主張の申請の原因に対する認否は、左のとおりである。

(イ)  被申請人が申請人主張のような営業を目的とするものであり、申請人を被申請人の本郷出張所勤務の販売員として雇用していたところ、申請人主張の日時に申請人に対し解雇の意思表示をしたことは認める。

(ロ)  右解雇の意思表示が解雇権を濫用したものであると称する申請人の主張は争う。

被申請人は、申請人に後述するような事由があつたところから、申請人を解雇したのである。申請人主張の純正寮に寄宿していた申請人と寮長の木内昭七郎とが昭和三十三年十一月初旬の夜右寮内でなぐり合いをしたことは事実であるが、それは、申請人がかねて同寮において連夜のように夜半まで高い声で話をしたり歌をうたつたり、あるいはテープレコードをかけるなどして寮の秩序を乱し、寮の他の寄宿舎や近隣の人々から苦情の申出がなされていた折柄、当夜もまた申請人に喧燥にわたる行為があつたところから寮長の木内昭七郎と宿直中の片岡信雄(被申請人の経理部長)とが申請人に対し注意を与えたことに端を発して起つた事柄であり、片岡信雄は、右のなぐり合いを中止させようとして仲裁に入つたに過ぎないのである。そして申請人が今後他に迷惑になるようなことはしないよう十分注意することを誓つて木内昭七郎と握手し、その場は円満におさまつたのである。申請人が木内昭七郎および片岡信雄両人の暴行によつて傷害を蒙つたというような事実も被申請人が申請人の主張するように報復の目的で申請人に対する解雇を決意したというような事実も全然ない。

(ハ)  被申請人が申請人に対して解雇の意思表示をしたことが不当労働行為に当る旨の申請人の主張は争う。

被申請人は株式会社純正舎の製造する衛生用品の都内販売業を営むことを主たる目的とするものであつて、被申請人が営業上使用する建物およびその従業員に利用させている寮は、右会社から借用しているものが多く、相互に従業員を交流することもあり、従業員に対する給与の水準も両会社で異なるところはない。申請人主張の組合は、申請人のいうとおり右両会社の従業員をもつて結成されたのであるが、団体交渉および申請人の主張する東京都地方労働委員会による斡旋はもつぱら組合と株式会社純正舎を当事者として行われたのであり、かつ、その団体交渉も昭和三十三年八月二十九日における一回だけである。菅野正次に対する配置転換を組合の要求に基いて被申請人が撤回したというようなことはない。東京都地方労働委員会による斡旋は、組合がその申請を取り下げたため成立するまでに至らなかつたのである。

申請人が組合の執行委員長と称して前記団体交渉に出席して発言をしたことはあるが、被申請人はもとより株式会社純正舎において組合の結成を好ましくないと考えて、申請人主張のようなその切崩策を講じたり、申請人をその組合活動の故に嫌悪していたというようなことは絶対にない。今井四郎についての配置転換は同一の職場における勤務が大体一年に達すると配置替を行うことにしている慣例に従つたものであり、深沢孝についての配置転換は本人の希望に基いたものであつて、いずれも特に他意のあつたものではなかつた。

(ニ)  本件仮処分の必要性の存在は争う。

(二)  被申請人が申請人に対して解雇の意思表示をするに至つたのは、申請人の左のような事由が存したことによるのである。

申請人は、被申請人の本郷出張所に所属する販売員として勤務中、

(イ)  昭和三十三年八月十八日の正午過ぎ、同年同月二十七日の午後、同年同月二十八日の午後三時三十分頃、同年九月二十日の午前十一時頃および同年十月十二日の午後からそれぞれ無届で職場を放棄して就労せず、

(ロ)  同年十月二十八日、同年十一月七日および同年同月十七日午後それぞれ無届無許可で欠勤し、

(ハ)  同年十一月二日に職場の日直をした際に、無断で被申請人の従業員でない者を職場内に立ち入らせ、被申請人の業務と関係のない仕事を行い、その後職場の主任高橋幸吉から注意を受けると暴言をもつてこれに反抗し、

(ニ)  届出はしたものの同年八月二日、同年同月四日、同年九月二十五日、同年十月七日、同年同月十六日、同年同月二十四日、同年十一月四日、同年同月十五日、同年同月二十二日それぞれ欠勤するなど、執務について無気力、怠慢で、能力も足りないのみか、主任の高橋幸雄に対してとかく反抗をする等従業員として不適当であつた。

叙上のような事情があつたほか、同年十一月に入つてからの申請人の勤務振りは極度に悪くなり、到底改悛の情のないことが認められたところから、被申請人はその就業規則第六十一条に照らしてやむなく申請人を解雇することを決意するに至つたのである。

四、被申請代理人の解雇理由に関する主張に対する申請代理人の反論

(一)  申請人が職場を放棄して就労しなかつたのは、わずかに昭和三十三年八月二十八日の午後三時以後の一回だけである。同年十月十二日は申請人の日直勤務の日であつたところ、株式会社純正舎の従業員である久保某に午後の勤務を代行してもらつたのであるから、仮に職場放棄であつたとしても、実質的には些細な事柄である。そのほかには申請人が職場を放棄した事実はない。

(二)  被申請人の制定にかかる就業規則の規定するところによると、被申請人の従業員が欠勤をする場合には届出をするだけで足り、特に許可を受けることは必要とされていないところ、申請人が無届無許可で欠勤したと被申請人の主張する各日時には、申請人は、いずれも口頭で欠勤届をしたものである。しかも昭和三十三年十月二十八日はいわゆる警職法改正反対の集会に参加するため、同年十一月七日は木内昭七郎および片岡信雄に対する告訴手続をするため、同年同月十七日は右告訴事件に関する検察官の取調に応ずるため欠勤したものであつて、もとよりこれによつて勤務を不当に怠つたといわれるべきものではない。

(三)  申請人が同年十一月二日に日直をした際に長岡某とともに無断で、職場に備付けの謄写版を使用したほか、主任の高橋幸雄の机の抽斗を開けて備品を取り出したことは事実であるけれども、右謄写版等を損傷したようなこともなく、長岡某は当時被申請人の従業員であつたものであり、右により申請人が職場の規律を乱したというようなことは皆無であり、まして申請人が高橋幸吉から注意を受けて反抗したというようなことはない。

(四)  申請人が届出をした上で欠勤したものと被申請人の主張する九日のうち昭和三十三年九月二十五日には、申請人は、組合からの申請に基く東京都地方労働委員会の斡旋手続に同労働委員会よりの呼出に応じて出席したものであつて、被申請人の就業規則第四十八条において、被申請人の従業員が官公署より公用のため出頭を命ぜられて出頭するときは、出勤として取り扱うものと定められているところに従つて、当日はもともと欠勤扱をされるべきではなかつたのであり、その他の欠勤日中同年八月二日および同年同月四日は帰郷のため、同年十月七日、同年同月十六日および同年同月二十四日は病気のため、同年十一月十五日はいわゆる警職法改正反対集会の参加のために欠勤したものであつて、叙上各日時における申請人の欠勤が申請人の執務についての無気力、怠慢を意味するものではないことは当然であり、残りの二日すなわち同年十一月四日および同年同月二十二日の欠勤についても同様である。

なお、被申請人は、申請人の能力不足を申請人に対する解雇の理由の一つとして挙げており、これは恐らく申請人の本郷出張所における昭和三十三年度における販売金高が前任者の前年度における販売金高に比較して減少したことを指しているものと推測されるのであるが、申請人の担当する区域は、他の区域よりも販路の基盤が狭く、販売高を伸ばすに不利益な事情にあつたのであるから、たとえ申請人の昭和三十三年度の販売金高が被申請人のいうとおり前年度より減少したことがあつたとしても、申請人だけにその責を負わせて申請人の能力不足を云々するのは見当はずれの論である。

その他被申請人が申請人に対する解雇の理由として主張しているような事情は断じて存在しない。

叙上これを要するに、被申請人が申請人に対して解雇の意思表示をするに至つた決定的な動機は、被申請人の主張するような点にあるのではないことが明らかである。

五、疎明<省略>

理由

一、申請人が、脱脂綿およびガーゼその他の衛生用品の販売業を営むことを主たる目的とする被申請人に雇用され、その本郷出張所に所属する販売員として勤務していたところ、昭和三十三年十一月二十五日被申請人から解雇の意思表示を受けたことは、当事者間に争がない。

二、申請人は、右解雇の意思表示が解雇権の濫用および不当労働行為に当るものであるとして無効であると主張するので、以下その点について判断する。

(一)  まず被申請人がいかなる理由に基いて申請人を解雇する決意をするに至つたかを調べてみる。

(イ)  証人高橋幸吉の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第一号証と成立に争のない乙第十三号証ならびに証人高橋幸吉および片岡信雄の各証言を総合すると、被申請人は、申請人が被申請人の本郷出張所の販売員として勤務中に、

(1) 昭和三十三年八月十八日(上掲疏明中に十七日とあるのは誤りであると認められる。)右出張所の販売主任高橋幸吉の指示するとおりに当日担当の神田地域の得意先を訪問せず、午後十二時十五分頃みだりに乗用の自転車を駿河台薬局に放置したまま職務を怠つたこと

(2) 同年同月二十七日の午後連絡なしに行先を不明にしたまま職務を怠つたこと

(3) 同年同月二十八日の午後三時三十分頃から当日担当の神田地域における職務を許可なく放棄したこと

(4) 同年九月二十日の午前十一時頃から当日担当の足立地域における職務を無届で放棄したこと

(5) 同年十月十二日の日直勤務を午後から無断で放棄したこと

(6) 同年同月二十八日無届で欠勤したこと

(7) 同年十一月二日の日直勤務に当り、部外者を許可なく職場内に立ち入らせて被申請人の業務に全然無関係な仕事を行い、事後販売主任高橋幸吉から注意を与えられたのに対して暴言をもつて反抗したこと

(8) 同年同月七日許可なく欠勤したこと

(9) 同年同月十七日電話連絡をとつた上検察庁に出頭し、午前中で所用が終つたのに許可なく午後欠勤したこと

(10) 平素から仕事振りが無気力、怠慢で、能力も不良で、販売主任高橋幸吉に反抗するなど従業員に適しないこと

というような事実があり、しばしば訓戒を与えたにもかかわらず改悛の情を認め得ないので、就業規則第六十一条第四号および第五号に定める解雇事由すなわち「如何なる業務にも不適当と認めたとき」および「勤務成績が著しく不良にしてしばしば訓戒しても改悛の情がないとき」に当るものとして、申請人に対し解雇の手続をとつたことが認められる。

(二)  そこで申請人に果して右にみたような事実があつたかどうかについて考える。

(1)  昭和三十三年八月十八日の件について。

証人高橋幸吉の証言により被申請人の本郷出張所の従業員中根コウが申請人の勤務状況を記載したものであることが認められる乙第二号証と同証言および申請人本人尋問の結果(第四回口頭弁論期日におけるもの。但し、後掲採用しない部分を除く。)によると、昭和三十三年八月十七日には申請人は神田地域の得意先を廻ることになつていたところ、午後一時頃同地域内の中山昇竜堂薬局から被申請人の本郷出張所に電話で注文のあつたガーゼを阪売主任の高橋幸吉が届けるべく駿河台薬局の前を通りかかると、店頭に申請人の乗用自転車が乗り捨ててあるのを認め、駿河台薬局が申請人の神田地域で一番最初に立ち寄るはずの得意先であるところから不審を抱いて右薬局で申請人の動静をたずねたがはつきりせず、更に午後四時頃に高橋幸吉が所用で再び駿河台薬局の前を通つた際にも申請人の乗用自転車がもとの場所にそのまま放置されていたので、同薬局の店員にきいてみたけれども、やはり申請人の消息はわからず、しばらく待つてみたが、遂に申請人の姿をみかけられなかつたこと、申請人が本郷出張所に帰つたときに高橋幸吉から事情をただしたところ、新規の得意先を獲得する仕事に従つていたとの返答であつたが、そのような場合には商品の見本をたずさえて行くはずであるのに、当日申請人はそのような見本を所持していなかつたところから、申請人の返事には信用がおけないものとして、申請人が午後無届で職務を放棄したものとして取り扱つたこと(乙第二号証の八月十六日欄にその趣旨の記載がなされているのは同月十八日欄にすべきものを誤つたものであることが、証人高橋幸吉の証言により明らかである。)が認められる。申請人本人尋問の結果中右認定に反する部分(第三回および第四回口頭弁論期日におけるものとも)は採用しない。

(2)  昭和三十三年八月二十七日の件について。

上掲乙第二号証と証人高橋幸吉の証言および申請人本人尋問の結果(第四回口頭弁論期日におけるもの。但し、後掲採用しない部分を除く。)によると、昭和三十三年八月二十七日には申請人は足立地域の得意先を廻ることになつていたところ、昼頃同地域内の得意先から被申請人の本郷出張所に商品の注文があつたので、申請人に連絡をするべく申請人が立ち寄つているであろうと思われる得意先約二十個所に電話をかけたが、いずれも無駄に終つたこと、申請人が本郷出張所に帰つたときに販売主任高橋幸吉から事情をきいたところ、得意先を廻つていたとの返答であり、高橋幸吉は申請人を深くとがめることはしなかつたけれども、申請人が午後より行先を明らかにしないで無断で職務を怠つたものとして取り扱つたことが認められる。申請人本人尋問の結果中右認定に反する部分(第三回および第四回口頭弁論期日におけるものとも)は採用しない。

(3)  昭和三十三年八月二十八日の件について。

申請人が昭和三十三年八月二十八日に午後三時頃以後職場を放棄して就労しなかつたことはその自認するところであるが、上掲乙第二号証と証人高橋幸吉の証言および申請人本人尋問の結果(第三回口頭弁論期日におけるもの)によると、被申請人の本郷出張所に勤務する販売員は得意先を廻つた後必ず一旦出張所に帰つて業務に関する報告をすませてから帰宅することになつているのに、昭和三十三年八月二十八日に申請人がなんの連絡もしないで出張所に帰つて来なかつたため、翌日販売主任高橋幸吉から注意したのに対して、申請人は理由を説明しなかつたこと、申請人が右のとおり八月二十八日に出張所に帰らなかつたのは、申請人がその執行委員長をしていた組合の拡大決起大会に午後三時頃から職務を休んで出席したためであつたこと、かくて高橋幸吉は申請人が当日午後三時三十分から無届で早退したものとして取り扱つたことが認められる(前掲申請人本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用しない。)一方において、前顕申請人本人尋問の結果によると、当日被申請人および株式会社純正舎の従業員中組合員でないものが組織する親睦団体の「のぼる会」の大会が午後四時から開催されたのに出席するためその会員も以後の時間の勤務を休んだことが認められる。証人木内昭七郎の証言は、右後段の認定を左右するに足りない。

(4)  昭和三十三年九月二十日の件について。

上掲乙第二号証と証人高橋幸吉の証言によると、昭和三十三年九月二十日には申請人は足立地域の得意先を廻るはずであつたところ、午前十一時頃申請人から本郷出張所の従業員である小川某に、同じく右出張所の従業員須貝(当時外出中)に本社へ来るように伝えてもらいたいとの電話による連絡があつたことから、後日販売主任高橋幸吉が本社に問い合せた結果、申請人は本社へ行つていたことが判明したので、申請人が当日の午前十一時頃から無届で早退したものとして取り扱つたことが認められる。申請人本人尋問の結果(第三回口頭弁論期日におけるもの)中右認定に反する部分は採用しない。

(5)  昭和三十三年十月十二日の件について。

上掲乙第二号証と証人高橋幸吉の証言および申請人本人尋問の結果(第三回口頭弁論期日におけるもの。但し、後掲採用しない部分を除く。)によると、申請人は、昭和三十三年十月十二日被申請人の本郷出張所で日直勤務に就いていたところ、午後からの勤務を株式会社純正舎の従業員である久保某に交替してもらつた上職場を離れた(かかる事実のあつたことは申請人の自認するところである。)のであるが、無断であつたため、同日午後から勤務を放棄したものとして取り扱われたことが認められる。前掲申請人本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用しない。

(6)  昭和三十三年十月二十八日の件について。

上掲乙第二号証と証人高橋幸吉および片岡信雄の各証言ならびに申請人本人尋問の結果(第四回口頭弁論期日におけるもの。但し、後掲採用しない部分を除く。)によると、申請人は、昭和三十三年十月二十八日いわゆる警職法の改正反対大会に出席するため欠勤した(この事実は申請人も自認しているところである。)が、勤務先の本郷出張所に連絡しなかつたので、同出張所では申請人が同日無届で欠勤したものとして取り扱つたこと、もつとも申請人は、当日運転手四名と倉庫係三人を含む組合員十一名の連名で右大会に出席するため欠勤したい旨の届出を各所属会社の本社に提出したところ、出席人数を三、四名に減らすようにいわれて欠勤届を返されたけれどもききいれないで全員で右大会に参加したことが認められる。申請人本人尋問の結果中右認定に反する部分(第三回および第四回口頭弁論期日におけるものとも)は採用しない。

(7)  昭和三十三年十一月二日の件について。

弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認める乙第十五号証ならびに証人高橋幸吉の証言および申請人本人尋問の結果(第三回および第四回口頭弁論期日におけるもの。但し、後掲採用しない部分を除く。)によると、申請人は、昭和三十三年十一月二日被申請人の本郷出張所において日直勤務をした際に、株式会社純正舎の従業員のほかもと被申請人の従業員であつた長岡捷人(第四回口頭弁論期日における申請人本人尋問において、申請人は長岡捷人が当時まだ被申請人に雇用されていたように思う旨供述しているが、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第二十六号証によると、長岡捷人は既に同年十月十五日被申請人を退職したことが認められる。)など三、四名のものとともに右出張所内において備付けの謄写版および無断で販売主任高橋幸吉の抽斗から取り出した事務用具(証人高橋幸吉の証言によると鋏であつたということであり、第三回口頭弁論期日における申請人本人尋問の結果によると鉄筆であつたということになつている。)を使用して組合の印刷物を刷つたことがあり(申請人が右宿直の際に無断で備付けの謄写版を使用したほか高橋幸吉の抽斗から備品を取り出したことのあることは、申請人も自認しているところである。)、これを知つた販売主任高橋幸吉から同年同月五日(同年同月三日は公休日で、翌四日には申請人が欠勤した。)から注意を受けたのに対して、「会社はけちんぼか」とか「馬鹿野郎」とか怒鳴り返したことがあつたことが認められる。前掲申請人本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用しない。

(8)  昭和三十三年十一月七日の件について。

上掲第二号証と証人高橋幸吉の証言および申請人本人尋問の結果(第三回口頭弁論期日におけるもの。但し、後掲採用しない部分を除く。)によると、申請人は、後段(四)の(イ)で詳述するとおり純正寮において片岡信雄および木内昭七郎から暴行傷害を受けたと称して右両名を告訴するため昭和三十三年十一月七日目白警察署に赴いたため欠勤した(申請人の自認するところでもある。)のであるが、その届出をしなかつたため、無届欠勤として取り扱われたことが認められる。申請人本人尋問の結果(第三回および第四回口頭弁論期日におけるものとも)および甲第一号証の記載中右認定に反する部分は採用しない。

(9)  昭和三十三年十一月十七日の件について。

上掲乙第二号証と証人高橋幸吉の証言および申請人本人尋問の結果(第三回および第四回口頭弁論期日におけるもの。但し、後掲採用しない部分を除く。)によると、申請人は、昭和三十三年十一月十七日前記告訴事件につき呼出を受けて検察庁へ出頭するため、午前九時頃勤務先に電話で、検察庁での取調が終り次第出勤するからといつて右の旨を連絡したのであるが、午前中で用件がすんだにもかかわらず午後も欠勤した(申請人が同日検察庁に出頭して出勤しなかつたことはその自認するところでもある。)ので、同日午後より無届で欠勤したものとして取り扱われたことが認められる。申請人本人尋問の結果(第四回口頭弁論期日におけるもの)および甲第一号証の記載中右認定に反する部分は採用しない。

(10)  申請人が被申請人の従業員に適しないことについて。

被申請人の主張その他弁論の全趣旨によれば、被申請人が申請人をその従業員として不適当であると認めたのは、申請人に前出(一)の(1)から(9)までのような行動があつたということのほか、(イ)事実摘示欄中の三の(二)の(ニ)に記載されているような欠勤のあつたことおよび(ロ)申請人の昭和三十三年度における業務成績が前任者の前年度におけるものより低下したという事実のあつたということを根拠としているものと解されるところ、右(一)の(1)から(9)までのような申請人の行動の存否については上来説明したところであるので、以下において(イ)および(ロ)のような事実があつたかどうかについて検討することとする。

(イ) 申請人が届出をした上で昭和三十三年八月二日、同年同月四日、同年九月二十五日、同年十月七日、同年同月十六日、同年同月二十四日、同年十一月四日、同年同月十五日、同年同月二十五日にそれぞれ欠勤したことは、当事者間に争がないところ、成立に争のない乙第八号証の一から六までによると、昭和三十三年十一月四日および同年同月二十二日の両日以外における申請人の右欠勤の理由は、帰郷のため、東京都地方労働委員会の呼出に応ずるため、風邪のため、疲労のためまたはいわゆる警職法反対集会に出席のためであつたことが認められるが、上示除外にかかる両日における欠勤の理由を明らかにする疎明は見当らない。

(ロ) 証人高橋幸吉の証言によつて、被申請人の本郷出張所の販売主任高橋幸吉が同出張所備付けの売上原簿によつて作成したものを同出張所勤務の中根コウが複写したものであることが認められる乙第三号証の二と右証言および申請人本人尋問の結果(第三回および第四回口頭弁論期日におけるもの。但し、後掲採用しない部分を除く。)によると、申請人は、昭和三十三年一月十四日頃から同年十一月まで被申請人の本郷出張所々属の販売員として、神田、荒川および足立等の地域の得意先を担当していたのであるが、その間における売上金高を前任者の前年度における同一期間中の売上金高に比較すると金八十一万九千余円(約一割九分)の減少となつていることが認められる。申請人本人尋問の結果(第三回口頭弁論期日におけるもの)中申請人が昭和三十三年十月限り販売員の業務に従事しなくなつたとの趣旨の部分は採用しない。

(三)  さて申請人に関して叙上のような具体的な事実のあつたことが認められるにおいて、申請人が被申請人の就業規則第六十一条第四号および第五号に定める「如何なる業務にも不適当と認めたとき」および「勤務成績が著しく不良にしてしばしば訓戒しても改悛の情がないとき」に該当するものとして、被申請人において申請人を解雇すべきものと解したことが是認されるかどうかについて考察する。

(イ)  成立に争がなく、証人片岡信雄の証言その他弁論の全趣旨によつて被申請人の従業員についても適用されている就業規則であることが認められる乙第十三号証によると、(a)被申請人の従業員は、就業時間中所属上長の許可なくみだりに勤務場所を離れてはならないこと(第十六条)、(b)被申請人の従業員の就業時間は実働八時間を原則とし、午前八時に始業し、午後四時四十五分に終業し、正午から四十五分間を休憩時間とすること(第二十三条および第二十四条)、(c)被申請人の従業員が定刻を過ぎて出勤したときまたは早退しようとするときは、その旨届け出なければならないこと(第三十三条)および(d)被申請人の従業員が病気その他の事故のため欠勤するときは、二日以内に所定の様式による届出を所属部課長を経由して提出しなければならないこと(第五十一条)が被申請人の就業規則において規定されていることが認められる。

そうだとすると前出(二)の(1)から(6)まで、(8)および(9)に挙示する申請人の行為は、前掲就業規則の諸規定にも反し、同規則所定の解雇事由の存否を決するについて斟酌されてもやむを得ないものといわなければならないし、さらにまた前出(二)の(7)に判示する申請人の行動についても、職場の秩序を乱すものとして同様の評価がなされてしかるべきものと解するのが相当である。

(ロ)  前出(二)の(10)の(イ)に掲げる申請人の欠勤については、その際に判示したとおりそれぞれ申請人から届出がなされているとはいえ、かかる欠勤のあつたことを、前記解雇事由の有無を判断するについての資料に供することが許されないと解する理由はないものというべきである。もつとも証人高橋幸吉の証言によつて、昭和三十三年一月から同年十二月までの間における被申請人の本郷出張所の従業員の出欠勤日数を月別に集計したものであることが認められる乙第六号証によると、申請人の右期間中における欠勤日数は、他の従業員のものに比して必ずしも特に多いという訳でもないことが認められるけれども、被申請人が申請人の右欠勤日数の故にことさら不利益な処遇をするべく申請人に対する解雇を決意したものと認めるに足りる疎明もない(このことは後段の判示から自ら明らかにされるところである。)限り、上記のとおり論断することに支障はないものといい得るのである。なお、前顕乙第八号証の二と乙第十三号証によると、申請人が昭和三十三年九月二十五日に欠勤したのは、東京都地方労働委員会からの呼出に応じたがためであつたところ、前示就業規則第四十八条第一項においては、被申請人の従業員が官公署により公用のため出頭を命ぜられて出頭するときは、出勤として取り扱うものと定められていることが認められるので、申請人の右同日における欠勤は、申請人に対する解雇事由の存否を決するについて考慮の外に置くこととする。

(ハ)  申請人の販売員としての昭和三十三年度における売上金高が前任者の前年度におけるそれに比較して減少したことは、前出(二)の(10)の(ロ)において判示したところであるが、果してこれは、申請人の職務怠慢、勤務成績不良および能力不足等に基因するものといえるであろうか。

証人高橋幸吉の証言によつて、被申請人の本郷出張所に勤務する販売員大谷某の昭和三十二年一月から十一月までと昭和三十三年の同一期間中における売上金高を各月別に集計してその増減額を比較対照したものであることが認められる乙第三号証の一によると、同人の昭和三十三年一月から十一月までの間における売上金高は、前年の同一期間中における売上金高よりも合計金三十三万六千余円(約四分三厘)増加していることが、証人片岡信雄の証言によつて、被申請人の小岩出張所に勤務する堀寛販売員、同じく大森出張所に勤務する金子孝治販売員および同じく荻窪出張所に勤務する小林清販売員の前同一期間中における各月別売上金高を集計し、その増減額を比較対照したものであることが認められる乙第七号証によると、右各販売員の昭和三十三年一月から十一月までの間における売上金高は、前年の同一期間中における売上金高よりも、堀寛については合計金百二十三万七千余円、金子孝治については合計金三十八万三千余円、小林清については合計金五十八万五千余円の増加となつていることが認められる。そして弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第十七、十八号証と証人高橋幸吉および片岡信雄の各証言ならびに申請人本人尋問の結果(第三回口頭弁論期日におけるもの)によると、大谷某の被申請人の販売員としての経験年数は昭和三十三年当時で五、六年であり、堀寛は昭和三十一年七月被申請人に入社し、昭和三十二年九月十日以来販売員となり、金子孝治は昭和二十九年三月被申請人に入社し、昭和三十二年五月二十日以来販売員となつたものであるが、申請人は昭和二十九年被申請人に入社して以来販売員の業務に従事して来たことが認められる(申請人が被申請人の本郷出張所に勤務するようになつたのは昭和三十三年一月十四日頃からであることは、前出(二)の(10)の(ロ)において判示したとおりである)。

ところで被申請人の販売員が売上金高を増加し、その業績を揚げ得るかどうかについては、その担当地域、販売員としての経験年数、同業者間の競争および景気の好不況その他の要因の影響を受けることを免れ得ないことは当然であるけれども、それにしても上述のとおり申請人とその他の販売員との対比においてひとり申請人の売上金高のみが相当多額に減少したことは、相応の理由のない限り、申請人の個人的な責に帰すべき事由によるものと認められてもやむを得ないといわなければならない。この点に関して申請人は、その本人尋問の結果(第三回および第四回口頭弁論期日におけるもの)中において、申請人の勤務する本郷出張所の担当地域は被申請人の他のいずれの出張所の担当地域よりも同業者の競争がはげしいところで、申請人の昭和三十三年中における成績が前述のようにならざるを得なかつた最大の原因もその点にある旨供述しているのであるが、首肯するに足りない。

申請人に上来説示したような事由の存したことが認められる上に、証人高橋幸吉および片岡信雄の各証言によつて認められる、申請人の直接の上司である被申請人の本郷出張所の販売主任高橋幸吉が申請人の就業規則に違反する行状について随時申請人に注意して反省を促すことに努めたけれども、申請人の態度は一こうに改めるところがなかつたことを考え合わせるときは、被申請人が申請人に就業規則第六十一条第四号および第五号所定の解雇事由に該当する事実があるものと判断したことをもつて不当であるとはいいがたいのである。

(四)  ところが申請人の主張するところによると、被申請人が申請人を解雇したのは、(イ)純正寮長木内昭七郎と被申請人の人事課長片岡信雄の申請人に対する暴行傷害につき申請人が告訴をしたことに対していわれもなく報復を加えるためであるとともに、(ロ)組合の執行委員長である申請人のした正当な組合活動を嫌忌したためであるとされているので、つぎにこれらの点について審究する。

(イ)  当事者間に争のない、昭和三十三年十一月初旬の被申請人の寄宿先である純正寮において申請人と寮長木内昭七郎がなぐり合いをしたことがある事実に、証人木内昭七郎の証言により成立の真正を認め得る乙第五号証、証人片岡信雄の証言により成立の真正を認め得る乙第十一号証、弁論の全趣旨により成立の真正を認め得る乙第十九号証、申請人本人尋問の結果(第三回口頭弁論期日におけるもの)により成立の真正を認め得る甲第一号証から甲第三号証までならびに証人片岡信雄および木内昭七郎の各証言と申請人本人尋問の結果(第三回および第四回口頭弁論期日におけるもの)のほか、純正寮の寄宿者が協議の上作成したものであることについて争のない乙第九号証および申請人本人尋問の結果(第四回口頭弁論期日におけるもの)により成立の真正を認め得る甲第六号証(但し、後掲採用しない部分を除く。)を総合すると左の事実が認められる。(1)昭和三十三年十一月五日の夜、被申請人の従業員で当時組合の会計事務を担任していた今井四郎が被申請人の命により転勤することになつたについて組合員の送別会が催された後で組合員高橋隆の寄宿する純正寮の第五号室に申請人、今井四郎および高橋隆その他の組合員が数名で集つて、今井四郎から高橋隆に対する組合の会計事務の引継を行つていた。(2)純正寮の寮長木内昭七郎は、第五号室からの話声に眼をさましたが、所定の就寝時刻午後十時をとつくに過ぎて既に午前零時をまわつていたことでもあり、かつ、かねて純正寮の附近居住者から寮で夜半になるまで騒いでいる者があつて安眠を妨げられる等のことがあるから取り締つてもらいたいとの要望がなされていたこともあつたので、申請人らに対してすみやかに散会してはたの者に迷惑をかけないようにと注意したにもかかわらず、申請人は、起きているのは個人の自由であるなどと放言してききいれようとしなかつた。(3)ちようどその夜は寮監の片岡信雄(株式会社純正舎の取締役、経理部長で同会社および被申請人の人事関係の事務をも担当している。)が純正寮で宿直をしていたので、木内昭七郎は、申請人を宿直室に連れて行つて、片岡信雄に事情を報告した。(4)そこで片岡信雄は、申請人に対して寮の共同生活を乱し他人に迷惑をおよぼすようなことは差し控えるよう忠告したのであるが、その間つつ立つたままの申請人の不遜な態度をみて、その胸倉をとつて椅子に坐らせた。(5)それでも申請人は机の上に頬杖をついているので、木内昭七郎がその手を払いのけたことに端を発して二人連れ立つて屋外に出てなぐり合いを始めた。(6)しかし片岡信雄と同じ当夜宿直に当つていた吉田孝とが仲に入つて引き別け、結局申請人も今後は気を付けるといつて、その場は無事円満におさまつた。(7)しかるに申請人は木内昭七郎と片岡信雄とから暴行を受け、左顔面に全治約一週間の打撲傷を蒙つたとしてその旨の診断書を添えて、同年十一月七日右両名を目白警察署に告訴した。(8)その結果は、木内昭七郎のみが起訴され、罰金二千円に処する旨の略式命令が発せられたが、同人の請求に基いて正式裁判の手続が進行中である。上掲疏明中以上の認定に牴触するものは採用しない。

ところで申請人は、被申請人が申請人を解雇した理由の一半が申請人から木内昭七郎および片岡信雄に対して告訴の提起されたことに対する報復にあつた旨主張し、この主張に副う疏明として前掲甲第一号証から甲第三号証までおよび申請人本人尋問の結果(第三回口頭弁論期日におけるもの)があるけれども、いずれも採用できない。かえつて証人高橋幸吉および片岡信雄の各証言によると、申請人の解雇に関する禀議の手続を進めることを協議した高橋幸吉および片岡信雄は、申請人に対する解雇の理由として昭和三十三年十一月五、六日の両日にまたがる前述の紛争およびこれに関連して申請人から提起された告訴のことは一切解雇理由に関する考慮の中に入れなかつたことが認められる。

してみると被申請人が申請人のいうような申請人に対する報復の目的で申請人を解雇した旨の申請人の主張は理由がないといわざるを得ないのである。

(ロ)  (1) 被申請人がもともと衛生用品の製造と販売業を営んでいた株式会社純正舎の営業のうち販売(被申請人の主張に従うと都内販売)部門を独立させるために設立されたものである関係上、両会社の間に従業員の人事交流が行われて来たことおよび右両会社の従業員によつて組合が結成されたことは、当事者間に争がなく、申請人が組合の執行委員長に選任されていたことは、被申請人の明らかに争わないところであり、前顕甲第一号証から甲第三号証までによると、組合の結成に当つては申請人がその中心となつたものであることが認められる。

(2) 被申請人は組合の団体交渉その他の活動はもつぱら株式会社純正舎を相手として行われて来た旨主張しているのであるが、前示のとおり組合は株式会社純正舎の従業員のみならず被申請人の従業員もこれに加入して結成されたものであり、右両会社は右に説明したような関係にあるばかりでなく、証人片岡信雄の証言によれば、両者の代表取締役は同一人が兼任し、被申請人の人事その他業務一般の処理は実質上株式会社純正舎の当局者が統一して行つていることが認められることからすると、組合の活動はひとり株式会社純正舎だけに止まらず、被申請人をも相手方に含めてなされて来たものと解するのが相当である。

(3) そこで申請人が組合の執行委員長としてどんな組合活動に従事したかについて調べてみる。

(a) 昭和三十三年八月二十九日組合との間に団体交渉が行われたこと自体については、当事者間に争がないところ被申請人の主張するところによれば、この団体交渉においても組合の相手方は株式会社純正舎のみであつたということであり、成立に争のない乙第十六号証によると、右同日における団体交渉の申入書が株式会社純正舎社長天田彦正あてに作成されて提出されたことが認められるけれども、(2)に判示したところに徴するときは、右団体交渉はたゞ株式会社純正舎との間においてだけでなく、被申請人をも相手として行われたものと認めるべきである。そして上掲乙第十六号証、弁論の全趣旨により成立の真正を認め得る乙第二十六号証、前掲甲第一号証および甲第三号証と証人片岡信雄の証言および申請人本人尋間の結果(第三回および第四回口頭弁論期日におけるもの)によると、組合はその結成以来基本給の改正を運動の主要目標として来たが、昭和三十三年八月二十八日拡大決起大会を開き、ここで決議された一率金五十円の日給の増額、生理休暇制の確立その他労働条件の改善に関する使用者に対する十一項目の要求について前述のとおり翌二十九日に行われた団体交渉以来何回か折衝を続けたが、組合の重要視する要求について妥協が成立しないため、同年九月二十四日組合員から東京都地方労働委員会に斡旋の申請がなされることになつたけれども、結局これも不調に終つたことが認められる。

(b) 申請人は、別に、組合員菅野正次のほか申請人を含む組合員六名に対し被申請人から不利益な配置転換が命ぜられたについて組合が団体交渉によつて菅野正次および申請人に対する配置転換命令を撤回させるに成功したということを申請人の組合活動の事例として挙げているところ、菅野正次に対する配置転換命令の撤回の点については、前顕甲第一号証および申請人本人尋問の結果(第三回口頭弁論期日におけるもの)により成立の真正を認め得る甲第五号証の二ならびに右本人尋問の結果中に申請人の主張に副う趣旨の記載または供述が存するけれども、証人片岡信雄の証言により成立の真正を認め得る乙第十号証および前出乙第十一号証に照らして採用しがたく、右乙号各証によると、菅野正次は、被申請人の小岩出張所に運転手として勤務していたものであるが、昭和三十三年四月頃より健康を害し、欠勤も多くなつたので、自らの希望によつて一時倉庫係にかわつたのであるが、数日経つと身体の調子もよくなつたので、比較的楽な区域を担当する運転業務に再転したに過ぎず、申請人の主張するように同人に対する不利益な配置転換が命じられたり組合が団体交渉によつてその命令を撤回させたりしたような事実はなかつたことが認められ、さらに申請人を含む組合員六名に対する配置転換命令および申請人自身についての右命令の撤回の点については、前出甲第一号証および申請人本人尋問の結果(第三回口頭弁論期日におけるもの)により成立の真正を認め得る甲第五号証の三ならびに右本人尋問の結果に同趣旨の記載または供述がみられ、特にこれらに反する証拠も見出されないところからいつて、右の点は疏明されたものというべきである。

(c) 既述のとおり申請人が組合結成の中心となり、その執行委員長に就任していたものである限り、右に認定した組合の活動に申請人が組合員の代表者として関与したことは察するにかたくないのである。

(4) 最後に被申請人が申請人をその組合活動の故に解雇するに至つたことについての証左であるとして、申請人の主張する事情に関して考えることとする。

(a) まず組合結成の気運を察知した被申請人が結成の前日に高橋幸吉および片岡信雄をして組合結成の中心となつて活躍中の申請人から強制的に組合員名簿を取り上げさせて早速切崩しに乗り出した旨の主張については、その主張に副う疏明として前掲甲第一号証および申請人本人尋問の結果(第三回口頭弁論期日におけるもの)があるけれども、前出乙第十一号証と対比して採用できない。

(b) つぎに被申請人は組合が結成されるやこれに対抗させるための組織として、純正寮の寮長木内昭七郎を会長とする「のぼる会」という親睦団体を作らせた上、各職場の職制を通じて従業員をこれに加入させようとしたにかかわらず、逆に組合加入者が次第に増加したので、さらに職制をして組合員に動きかけさせ、組合員を無理矢理に組合から脱退の上「のぼる会」に入会させたため、組合に留まる者は申請人を含めて約十名位に過ぎなくなつてしまつた旨の主張に関しては、前顕甲第一号証から甲第三号証までおよび乙第十九号証と証人片岡信雄および木内昭七郎の各証言ならびに申請人尋問の結果(第三回口頭弁論期日におけるもの)(但し、後掲措信しない部分を除く。)によると、組合が結成された後昭和三十三年六月中株式会社純正舎と被申請人の従業員のうち男女合わせて二百数十名によつて、「のぼる会」と称する団体が労使相協力し話合いによつて生活環境の維持改善、会員相互の意思の疏通、苦情の処理に当り、もつて労使および会員相互間の親睦と融和をはかり進歩発展に寄与することを目的として設立され、純正寮の寮長木内昭七郎がその会長に選ばれたことが認められるけれども、上掲甲第一号証から甲第三号証までおよび申請人本人尋問の結果中、右両会社が組合を弱体化させるために「のぼる会」を結成させ、職制をして従業員の入会を勧誘させたとの趣旨の部分は採用できないし、右甲号各証および本人尋問の結果中には、多数の組合員が職制の強要により組合から脱退して「のぼる会」に入会したとの趣旨のものがあり、さらに第四回口頭弁論期日における本人尋問において申請人は、甲第八号証の一から六までの組合脱退届中同号証の二および三以外のものが被申請人において本文のほか作成名義人の氏名をさえあらかじめ記入したものに押印又は拇印させたものであり、甲第八号証の二および三の署名押印は本人がしたものと思われるが、その真意によるものとは思われず(なお、この点について第三回口頭弁論期日における申請人本人尋問の結果中第三十一項が参照されるべきである。)、組合員の組合脱退が続出したのは本人の自発的意思に基くものではなく、使用者の策動に影響されたものであることがこの一事によつても明らかである旨供述しているのであるが、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認める乙第二十一号証の一から三までおよび乙第二十二号証の一から五までによると、甲第八号証の一中佐藤晶子、中村好江、清水久子および松尾信子の作成名義以外の部分、同号証の二中高野東子および大倉美恵子の作成名義以外の部分、同号証の三から五まで、同号証の六中大山文子、園野愛子、吉沢美子、金本入江、磯一栄、田中美穂および島田昭子の作成名義以外の部分はいずれもその作成名義人の自由な判断によつて作成されたものであることが認められ、この事実にかんがみ、かつ、反対の積極的な疏明のないことから考えると、右甲号証中の前掲除外部分も各々その作成名義人の真実の意思に基いて作成されたものであると認めるべきであり、さらに弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認める乙第二十号証ならびに前掲乙第二十二号証の一中大倉チヨの部分および同じく四中村上富子の部分によると甲第八号証の一から六までの作成名義人以外の者で、自らの発意によつて組合を脱退したもののあることが認められるし、右各認定の事実に前顕乙第十九号証および証人木内昭七郎の証言を総合するときは、組合員の組合からの脱退は、組合の執行委員長である申請人の運動方針にあきたらなかつたことにその主張たる原因があり、使用者の意思に左右されたとか、これに迎合したとかいう事情はなかつたものと認めるべきである。

(c) さらに組合員として組合に残留する者がわずかに約十名に過ぎないという状態にあつた折柄、被申請人において組合の会計担当者今井四郎および執行委員深沢孝を組合活動の中心から離れた出張所に配置転換した旨の主張については、右両名の配置転換の事実は被申請人も争わないところであるが、この配置転換が申請人の主張するように組合を潰してしまおうとする被申請人の不法な意思に出たものであるとの趣旨に帰する前顕甲第一号証から甲第三号証までの記載および申請人本人尋問の結果(第三回および第四回口頭弁論期日におけるもの)は後掲証拠に照らして採用しがたく、前顕乙第十一号証によると被申請人がその世田谷出張所に運転手として勤務中の今井四郎を昭和三十三年十一月横浜出張所に転勤させたのは、世田谷出張所における勤務が一年を越えたところから、原則として大体一年ごとに従業員の配置転換を行う会社の方針に従つたまでであつて、殊に今井四郎に対して右のように配置転換を命じた当時同人の郷里の群馬県からその父親が上京したことが被申請人において今井四郎を組合から脱退させようとしたことに関係があるようにいわれている(第四回口頭弁論期日における申請人本人尋問の結果中にその旨の供述がみられる。)のは全く事実無根であつて、むしろ今井四郎のかつて雇われていた森田屋布団店の若主人がたまたま今井四郎に用事があつて電話をかけたところ、申請人が電話口に出て、組合の執行委員長であると名乗つた上用事があるのならば出向いて来るようにと返事したのに驚き、心配の余り今井四郎の親元へ電報を打つたことによるものであること、また深沢孝の配置転換は、かねて被申請人の本社に大型貨物自動車の運転手として勤務していた同人から健康上その職務に耐えがたいとの申出があつたことに原因するものであつて、同人は以前には胸部疾患のため約一ケ月間郷里で静養したこともあつたところから、小型自動車の運転に従事させることとするとともに、かつて同人が勤務していたことのある関係上勝手もよくわかつている大森出張所に昭和三十三年十一月四日から転勤させたものであることが認められる。

(五)  叙上のようにみて来ると、被申請人において解雇権を濫用しないしは申請人の組合活動の故に申請人に対して解雇の意思表示をしたものは到底考えられず、むしろ申請人は被申請人の就業規則所定の事由に基いて被申請人により解雇されたものといわなければならない。従つて右解雇の意思表示が無効であるという申請人の主張は排斥せざるを得ないのである。

三、してみると申請人と被申請人との間に現に雇用契約の存続していることを前提として、申請人が被申請人に対し、その契約に基く権利を有する地位を仮に定めるべきことを求める本件仮処分申請については本案の請求に関する疏明がないことに帰し、かつ、保証を立てさせることをもつて疏明に代えることも相当でないと認められるので、右申請を却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原正憲 大塚正夫 半谷恭一)

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